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おはなしの箱

Stories Box

​オレンジバード書房・企画

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梅雨

結婚を前にした支倉順平。マリッジブルーと梅雨時の鬱陶しい感覚を

重ねて表現しました。


 

   人 物

 支倉順平(28)  会社員

 村山玲子(30)  支倉の婚約者

 細田秀行(35)  支倉の会社の先輩

 

○とあるマンション・外観(深夜)

   雨がしとしと降っている。

   マンションのどの窓も暗い中、一つだ

   け5階にぼんやりと灯りがついている

   窓がある。

○同・支倉宅・ベッドルーム(深夜)

   激しく燃えるライターの火。

   煙草に火がつけられる。

   薄明かりの中、ベッドに裸の支倉順平

(28)と村山玲子(30)が横たわって

   いる。

   支倉、ゆっくり煙を吐きながら、

支倉「最近何度も見る夢?」

玲子「そう」

支倉「それが、写真展の写真の一枚に?」

玲子「うん。真夜中の海にボートが浮かんで

 る写真。きれいな三日月が出てるの。ホン

 トに薄い薄い三日月の」

支倉「誰?」

玲子「え?」

支倉「名前。その写真家の」

玲子「岩沢徹也」

支倉「知らないなあ」

玲子「やだ、この間まで『謎の死をとげた写

 真家』とかいって話題になってたじゃない。

 ワイドショーとか持ち切りでさ」

支倉「ふ〜ん(知らんかった)」

   立ち上る煙草の煙。

   その動きを楽しむかのような支倉。

玲子「驚きよ。本当に夢の中の風景、そっく

 りなんだから。夢ではね、私はそのボート

 に恋人らしき男と乗ってるんだけど」

支倉「恋人? 俺じゃない男?」

玲子「う〜ん多分ね。身近な人って感じでは

 あるけど……」

支倉「(ちぇっという顔)」

   玲子、男の顔を思い起こすように、眼

   を細めて。

玲子「暗闇で男の顔ははっきりしないのよ。

 でも口だけはね、(思い描いて)こう」

   宙に指で絵をかきながら、

玲子「(神妙な声で)空の月とお〜んなじに、

 うすーい三日月の口して、笑ってんの」

支倉「……(気色悪そうな顔)それで?」

玲子「男がボートを漕いでて、私たちは沖へ

 向かってるの。私は酷く不安で、もうこの

辺で帰りましょう、って言うんだけど、男

は、ただ黙って漕ぎ続けて。そのうち海が

だんだんオレンジ色になってくの。それも

何だかね粘ってるの。蜂蜜みたいに」

支倉「気味悪い夢だな」

玲子「だからそう言ったじゃない」

   玲子、支倉の煙草を取り上げ一口吸う。

玲子「しばらくそうして、男はふいにボート

 止めるとね、何やら黒々とした大きな網を

 出してきて、ゆっくり海に落とし始めるの。

 ゆっくりゆっくり。(突然笑い)そこでね、

 私ったら何考えてると思う? 明日歯医者

 の予約取らなきゃって。(笑い)変でしょ

 そこだけやに現実的なの、可笑しいわよね

   支倉に煙草を渡す玲子、少しふざけて、

玲子「早く行かなくっちゃ。詰めてたとこ、

 取れちゃったの。ここ(口を開けて)ここ

   歯を見せようと、覆いかぶさる玲子。

   鬱陶しそうに嫌がる支倉。

支倉「網を下ろしてるんだろ。それから?」

玲子「それから今度はゆっくりゆっくり引き

 上げるの。私も手伝って網を引っ張るわけ。

 最初はすごく軽いんだけど、そのうちどん

 どん重くなって、手が痛くて痛くてたまら

 ないわけ。それで、男にもっと力を入れる

 ように頼むとね、男は、自分には手が無い

 からできない、って言うの」

支倉「……」

玲子「私、手が無いの知ってて、何でそんな

 事言っちゃったんだろ、ってとっても申し

 訳ない気持ちでね。突然手が無いなんて変

 な話なんだけど。とにかく早く仕事を片付

 けなくちゃって網を引いてくと、ずっしり

 した物がどんどん引き上げられてくるのが

 判るわけ」

   玲子、自分の両手を見て、

玲子「その手にずっしりきた感じからね、私

 はそれが人間じゃないかって思うわけ。私

 はきっと人間を引き上げようとしているん

 だ、って思った所でいつも目が覚めるの。

 起きた時、その重さがちゃんと手に残って

 てね、すごく憂鬱になるの」

   支倉落ち着かない様子で煙草を消して、

支倉「疲れてるんだよ。この所ずっと結婚準

 備で振り回されてるから」

玲子「じゃあ、この夢の責任の一端はあなた

 にもあるって事ね。私ばっかり任せきりで、

 あなたのする事っていったら、いいんじゃ

 ない、とか、それはちょっと、って言うだ

 けでしょ。もう少し協力してくれても」

   支倉、渋い顔でベッドを出る。

支倉「トイレ」

○同・洗面所(深夜)

   水をいっぱいに出し、顔を洗う支倉。

   鏡に写った自分をまじまじと見る。

   洗面所の小窓から見える降りしきる雨。

○地下鉄・走る電車・中

   人がまばらな車内。営業鞄を持った支

   倉、立ったまま、中吊り広告に目を奪

   われている。

玲子の声「下りの電車。前から2両目の後ろ

 の扉んとこ。なんとかって人の写真集よ」

   しかし広告は旅行会社の宣伝。

   フラダンスを踊る笑顔の女性の写真に

   『格安ハワイ旅行。6日間8万円〜』

   の文字。

細田の声「新婚旅行はハワイかな?」

   我に返り振り向く支倉。同じく営業鞄

   を持った細田秀行(35)が、からかう様

な笑顔で立っている。

支倉「やだな先輩。驚くじゃないですか」

細田「ハワイ?」

支倉「いや、まだ決めてないんですよ。とり

 あえず今の大きな仕事が片付いたらってこ

 とで」

細田「お預けか」

支倉「(頷いて)ええ」

細田「今月末だったよな、結婚式。招待有り

 難う。行かせてもらうよ」

支倉「(愛想笑いで)あ、嬉しいです」

細田「なんだなんだ、しけた顔して」

支倉「(愛想笑い)」

○ラーメン屋・外観(夕方)

   よくある昔ながらのラーメン屋。

   雨が強く降っている。

○同・中(夕方)

   油がびっしりこびりついて、清潔感の

   ない店内。テレビでは連日の雨のニュ

   ースを伝えている。ラーメンを食べて

   いる支倉と細田。時々、一皿の餃子を

   つつきながら。

細田「そりゃ、マリッジブルーってやつかな

支倉「ああ、そんなのありましたねー」

細田「俺はこのまま結婚して身を固めてしま

 っていいんだろうか。俺にはまだまだ可能

 性がいっぱいあるんじゃないだろうか。や

 り残した事はたくさんあるのに、これから

 家族に縛られた人生を送るなんて、間違っ

 ているのではないだろうか、とかな。……

 もしや、もっといい女がいるんじゃないか

 って?」

支倉「(愛想笑い)いやあ」

細田「ただでさえ、毎日のこの雨だから、無

 理もないけどな」

支倉「ジューンブライドって一体誰が言い出

 したんですかね。よりによってこんな梅雨

 の鬱陶しい時期に」

細田「何でも西洋の真似ですよ。特に女は弱

 いよね。西洋っつうとすぐに跳びつく」

支倉「先輩もあれですか、教会ですか?」

細田「俺はあれだよ、神前。日本男児たるや

 やっぱり神前だね」

支倉「じゃあ、家でも亭主関白ってやつ、や

 ってるんですか?」

支倉「(渋い顔)まさか。家は子供生まれた

ばかりだろ? 生まれた途端、あれやれ、

これやれ、何やってるの、何やらないのっ

て。(頭にゆび2本立てて角を作ってみせ

て)そんなもんですよ。女性は強い! 敵

いません! (へへと笑う)」

支倉・細田「(間—箸を進めて)」

支倉「時々思うんですよ。人生ってこんなに

 気の重いものなのかなって」

細田「?」

支倉「子供の頃って、夜になるとつまらなく

 って、早く朝が来ないかって寝たでしょ?

 でも今は、朝が来ないで欲しい。出来るだ

 け長く夜が続いて欲しいって。よく思うん

 ですよ」

細田「(考え込んで)うーん」

支倉「同じような変わり映えのしない毎日が、

 ずっと続いている、っていうか……。子供

 の時は、そんな風に思ったことなんか無か

 ったでしょ? 毎日が物珍しくて、今日が

 いつもキラキラしてた気がするんですよ」

細田「うーん。(間)まあな。いい思い出っ

 てのはそんなもんでさ、ずっと変らずいい

 思い出なわけよ……」

支倉「(細田を見つめる)」

細田「お前は特にいい子供時代を過ごしたん

 だな。俺なんかさ、恐がりでいじめられっ

 子で、出来もそんな良くなくてさ。(間)

 勿論、虫取りなんて夢中でやったし、裸で

 川遊びなんてのもそれなりにいい思い出で

 あるけどね。でも何かさ、子供は子供なり

 に大変じゃなかったか?」

支倉「……。うーん」

細田「第一怖いものがたくさんなかったか?

 暗闇なんて本当に怖かっただろ? 俺なん

 かさ、昼間でも、あの、時計のさ、秒針あ

 るだろ? あれがチクタクっていうのがさ、

 ほんと怖くてね」

支倉「怖いもの……」

細田「そう。怖いものがたくさん、今よりも

 もっと身近にあったよね。うん」

   細田、伸びかけのラーメンを急いでか

   き込むようにして食べ始める。

支倉「(考え込んで)……」

   一点を見つめる支倉。

○(イメージ)地下鉄・走る電車・中

   (前同様の)中吊り広告の写真。ハワ

   イアンの女性がこちらに微笑みかけて

   いる。どんどん寄って、拡大されてい

   く女性の右目。どんどん寄って、拡大

   されていく右目の瞳。拡大された瞳の

   中に小さく映像が映っている。どんど

   ん寄って、拡大されていく映像。三日

   月の夜の海、ボートに乗っている二つ

   の人影がある。どんどん寄って、ボー

   トの中の黒い網。どんどん寄って、黒

   い網の中の人間。どんどん寄って、網

   の中の支倉の顔。

○もとのラーメン屋・中(夜)

   瞬きもせず、見開いた支倉の両目。

○同・外観(夜)

   どしゃぶりの雨が降っている。

○マンション・支倉の部屋・キッチン(夜)

   玲子、夕食作りに励んでいる。

○新宿・ビル街・俯瞰(夜)

   どしゃぶりの雨が降っている。

   帰宅を急ぐ人の波。

○マンション・支倉の部屋・浴室(夜)

   玲子、部屋干ししていた洗濯物をせっ

せと、取り込んでいく。

○支倉のマンション・外観(夜)

   降りしきる雨。

   傘をさして帰宅する支倉。

5Fの自宅を見上げ、灯のついた自分

の部屋の窓を見る。

○マンション・支倉の部屋・リビング(夜)

   鼻歌を歌いながら洗濯物にアイロンを

   かける玲子。

○支倉のマンション・外観(夜)

   降りしきる雨。

   自宅の窓を見上げる支倉。

     × × ×

   (フラッシュ)

   海から上げられる網の中の支倉

  × × ×

支倉怯え、マンションの前を足早に通

り過ぎていく。足早が早足に、その後、傘も鞄も放り出し、全速力で走り出し、

電車の高架線の下、消えていく。

高架線を通過する電車。

○通過する電車・中(夜)

  煌々と明るい車内。

  (以前と同様の)ハワイ旅行の中吊り広

告の女性が笑顔でこちらを見ている。

                 (了)



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