top of page

おはなしの箱

Stories Box

​オレンジバード書房・企画

liv_edited_edited_edited_edited.png
検索

まぼろし またの日


 

人 物  佐々木亮介(27)無職  天野 智花(8)亮介の幼馴染み         桜と同一人物  若村 桜(8)賢太の娘・智花と同一人物  佐々木八重(55)亮介の母  中山 聡()亮介の級友  若村賢太()亮介の級友  発田善三()青年団の先輩  配達員  級友1  級友2  級友3  謎の声(声のみ)

 

○亮介の夢・河口湖・水中

   暗く淀んだ水中を、佐々木亮介()が

   ゆっくりと沈んでゆく。

   所々から水の泡が立ち上っている。

   亮介、息苦しさに突然気がつき、

亮介の声「う、う、う」

   もがきながら、尚も沈んでゆく亮介。

   激しく泡立つ水中。

亮介の声「苦……し……い」

   水面の光がうっすら見える。頑丈な藻

   が亮介に絡みつくように揺れる。

亮介の声「た、助けて」

   必死でもがく亮介。

   さらに激しく泡立つ水中。

   と、天野智花()の声、

智花の声「亮介、何やっとる。ほれ力抜け。

 上だ。上に向かって、水をかけ!」

亮介の声「……智花?」

   急に動けなくなる亮介。

智花の声「力を抜くんだ、亮介」

   ぐったりと、亮介沈んでゆくばかり。

亮介の声「動けない。だめだよ俺。だめだ」

智花の声「しっかりしろ! 亮介」

亮介の声「俺……、俺、終りか?」

智花の声「亮介、頑張れ! 亮介!」

   気が遠くなる亮介。

   水面の光がどんどん遠くなっていく。

○とあるアパート・亮介の部屋

   手狭な六畳一間。寝ている亮介。

亮介「ううー、ああ!」

   悶えながら、ガバッと起き上がる。

亮介「(息荒く)またあの夢かよ。(溜息)」

   したたる汗。亮介、息を整え、だる

   そうに立ち上がると、水道へ。

   コップ一杯の水を一気に飲み干し、

亮介「ふー」

   更にもう一杯を酌んで、座卓へ。

   座卓の上の目覚まし時計は一時を過ぎ

   ている。その脇には解雇通知書。

   亮介、通知書の上に乱暴にコップを置

   き、窓を開ける。

   強い夏の日差しに目を覆う亮介、

亮介「ちっ、また晴れてやがる」

   蝉がけたたましく鳴いている。

○佐々木家・庭

   古い農家の一軒家。

   庭の蝉がけたたましく鳴いている。

   宅配の配達員が荷物を抱え入ってくる。

配達員「佐々木さーん。お荷物でーす」

○同・玄関

   佐々木八重()が、印鑑を押して、

八重「暑いのにご苦労さん」

   配達員、領収書を受け取り、

配達員「どうも、ありがとうございましたー」

   と愛想よく出て行く。

   八重、置かれた荷物をじっと見る。

   受取人に「佐々木亮介」、差出人にも「佐

   々木亮介」とある。

八重「なんじゃろか?」

○河口湖・俯瞰

   絶景の富士山。

   晴れ渡る空に湖面が輝いている。

○湖畔沿いの道・俯瞰

   バスが一台、走っている。

○湖畔沿いの道・バス停

   バス停まり、再び走り過ぎると、一人

   亮介が鞄を提げて立っている。

   長閑な鳥のさえずりと蝉の声。

○佐々木家・居間

   八重、きびきびと拭き掃除をしている。

   雑巾をかけながら、居間に置いた荷物

   がどうしても気になる様子。ちらちら

   見やり、やっと「よし」と意を決める。

   箱を開ける八重。中には亮介の衣類や

   本類などが入っている。

   と、庭先の鶏が騒ぐ声。八重、そちら

   を見ると、鞄を提げた亮介が現れる。

八重「……」

亮介「(どうも、と手を挙げ)……」

      ×   ×   ×

   仏壇に向かいお経を唱える八重。

   唱え終えて鈴を鳴らし、亡き夫の遺影

   を見据える。

八重「父ちゃん、どうした訳か亮介が帰って

 きたんよー。きっとなんかあったんに決ま

 ってんだからー。どうか、お守りくだしゃ

 んせ、なー。どうかどうか」

   何度も鈴を鳴らし必死で拝む八重。

○湖畔への道

   砂利道が湖まで続いている。亮介、懐

   かし気に、風景を見渡しながら歩く。

亮介「この辺は変わってないなー」

   湖の方から一台の自転車がやって来る。

   作業着姿の中山聡()が乗っている。

   亮介とすれ違う聡、すこし進んだ所で

   止まる。ブレーキが軋んだ音をさせ、

   亮介、振り返ると聡と目が合う。

   亮介と聡、無言で見つめ合い、

亮介・聡「あっ」

○居酒屋・前景(夜)

   赤提灯の大衆飲み屋。

○同・中(夜)

   座敷に亮介と聡、数人の級友の男友

   達が集まり盛り上がっている。

級友1「亮介、東京出てからちっとも帰って

 来ないもんだからー、心配してたんよー」

級友2「高校卒業以来だな」

級友3「営業マンって聞いてたんけど、バリ

 バリのスーツ着て、高層ビルのガラス張り

 のオフィスとか通ってんか?」

亮介「(苦笑して)そんなんじゃねーよ」

聡「似合わん似合わん。亮介ってさ、そこそ

 こ頭いいのに、どっか抜けてるもんな。そ

 んな柄じゃないっての」

亮介「なに言うかー」

   と亮介、聡の頭を割箸で軽く叩く。

聡「なにするかー」

   聡も亮介にお返しをし、二人、割箸で

   チャンバラの真似。

級友1「いい歳して」

級友2「昔に戻ったなー」

      ×   ×   ×

   空のビール瓶や皿がそのままに、亮介

   と聡が残っている。

   それぞれ、卒業アルバムや古い写真を

   懐かしそうに見ている。

   聡、ある一枚の写真を見つけ、

聡「おい、覚えてんか? この写真。ボート

 大会ん時よ」

   写真には河口湖をバックに小学生時代

   の亮介、聡等の数人がいる。

聡「お前、こん時溺れてよー。今でも忘れら

 れなくってね」

亮介「あ、ああ……」

聡「なんか思い出せたこと無いんか?」

亮介「……」

聡「あん時はびっくりしたよなー。俺ん等、

 てっきりお前が死んだと思ってな、そした

 ら、ひょっこり現れて。だって、一週間も

 行方不明だったんだからー」

   聡、亮介に言い寄って、

聡「なあ亮介、あん時のこと。まだ記憶喪失

 のまんまか?」

亮介「(顔を曇らせ)俺にとっては未だに悪夢

 でさ。思い出すのも……なんかね」

聡「そうか。まあ、そうだな。すまんかった

 な。じゃあ、この話はあんまりいい話と違

 うけどー。(横目で亮介を伺いながら)何年

 か前から、またボート大会始めててなー。

 俺ん等青年連が主催で、また今年もやるん

 よ。今その準備でみんな大忙しでさ。……

 もしあれだったら、お前にも手伝ってもら

 えたら……なんてな」

亮介「ボート大会やるんか?」

聡「おお。ほれ、賢太覚えてんか? (写真

 の一人を指差し)これこれ若村、若村賢太」

亮介「ああ」

聡「賢太がな、今、青年連の代表で張り切っ

 てんのよ。どうだー? 手伝ってくれるか

亮介「(渋い顔して)ごめん。遠慮しとくよ」

聡「あ、そ、そうか。やっぱりな」

亮介「賢太、どうしてんの?」

聡「賢太な、あいつボート得意だったろー。

 今じゃ、ボートクラブのコーチなんてやっ

 てさ、子供達教えてんのよ。大会を始めよ

 うって言い出したんも、賢太なんよ」

亮介「(写真を眺めながら)へえ、あいつらし

 いな」

聡「小百合は? 小百合覚えてんか? 俺ん

 等のアイドルだった」

   亮介、写真をじっと見つめている。

   勝手に続ける聡。

聡「あいつ小百合と結婚したんだぜ(はしゃ

 ぐ)。今じゃ子供もいてさー。なーんか幸せ

 を独り占めにしてやがるよ。(亮介をまじま

 じ見て)あれだな亮介。幸せもんには、ど

 んどん幸せが集まるようにできてんだな。

 神様は不公平ってな」

   亮介、徐に。

亮介「なあ。……智花」

聡「え?」

亮介「智花、天野智花。覚えてないか?」

聡「天野智花?」

亮介「この写真にも写ってないんよ」

聡「だってこれボートクラブだろ? ボー

 トクラブはあの頃男ばっかりだったし」

亮介「女のくせに、とか言われて通ってた子

 いたろ。俺ん等、よく一緒に練習したろが」

聡「? ……いやあ」

亮介「ほら俺ん等、ずっと一緒のクラスだっ

 たろが。変な訛のある、おかっぱ頭の。男

 子と喧嘩したり、悪戯したりして、よく廊

 下に立たされてたろよ」

聡「智花、智花。天野智花……」

亮介「ほら魚釣りが上手くて、河口湖の魚、

 全部釣ったるって言って」

聡「? う〜ん」

亮介「どっか写真に写ってるはずだよなー」

   亮介、写真をいろいろ手に取ってみる。

聡「そんな女子、いたかー?」

   写真を探す亮介。

○佐々木家・座敷(朝)

   亮介、がつがつと朝食を取っている。

   呆れ顔の八重。

亮介「母ちゃん、智花って覚えてるだろ?」

八重「智花?(考えてから)はて?」

亮介「母ちゃんまで、そんなこと言うか」

八重「どこらさん家の娘さんなんよ?」

亮介「天野智花。昔よく家に遊びに来ただろ。

 おかっぱでさ。俺のおやつまで食べちまっ

 て、よく喧嘩したんよ」

八重「天野さん? 天野天野……。覚えてな

 いわー。さてー」

亮介「よくわからないんだけど、俺が中学に

 上がった頃には、知らないうちにいなくな

 っててさ。みんなに聞いても覚えてないっ

 て奴ばっかりで……(首を傾げる)」

八重「そいであんた、夜中っちゅうにアルバ

 ムひっくり返してたの」

亮介「ああ」

八重「亮介あんた、急に帰ってきて、何か」

   亮介、空気を察してか、再び食事に専

   念する。これ以上言えない八重。

亮介「……母ちゃん、すまん。ちょっと時間

 くれないか? な、母ちゃん」

八重「……」

亮介「すまん」

   亮介、がつがつと食べる。

○青年連事務室

   ボート大会のポスターが壁中に貼られ

   ている。段ボール箱やチラシの山が、

   あちこちに積まれている雑多な部屋。

   聡、若村賢太()、発田善三()。

   それぞれ作業しながら、

善三「へえ、佐々木さんとこの亮ちゃん、帰

 ってんのか」

聡「はあ、夏休みとかでしばらく居るような

 話しっぷりだったけど」

賢太「なんだあいつ薄情だなー。ちょっとぐ

 らい顔見せたっていいんに」

善三「まあ、久しぶりの故郷だかんな。家で

 ゆっくりしてたいだろうさ」

賢太「なあボート大会のこと話たんか?」

聡「ああ、何となく」

賢太「だったら、手伝い頼めないかなー。当

 日の事考えると、人手はあればあっただけ

 助かるかんなー。一日ぐらい何とかならな

 いかなあ」

善三「そうだ、そしたら助かるなー」

聡「(返事に困り)えっと、どうだか」

○浅間神社

   境内の裏手に、亮介、体育座りでいる。

   そこへ強風、大木がざわざわと鳴り、

謎の声「お前、こんな事もできないでどう

 すんだ? え?」

   亮介、辺りを見回すが誰もいない。

   怪訝な表情の亮介。その場を去る。

○公園

   花壇の縁に腰掛けている亮介。

謎の声「もうちょっと頭使ってくれる? 私、

 あなたみたいな人、全然趣味じゃないから」

   キョロキョロする亮介。

○湖畔の橋

   景色を眺める亮介。

謎の声「悪いけど君、使えない。消えなさい」

   不安に怯える亮介。駆け出す。

○とある小学校・校庭

   ブランコに座る亮介。

謎の声「消えなさい、消えろ、消えろ、消え

 なさい、消えなさい、消えろ、消えなさい」

亮介「うるさい、黙れ! 黙れよ」

   亮介、走り去る。

○農道

   畑で八重が農作業をしている。

   亮介が耳を押さえ、逃げるように走り

   抜けていく。

亮介「ああ止めろー、ああ」

   亮介、走り去る。

   ポカンとする八重。

○湖畔

   人気のない湖畔。

   亮介、湖岸に立ち、足下に寄せる波を

   見つめる。

亮介の声「俺、何しに帰ってきたんだよ」

   湖上ではジェットスキーを楽しむ人達。

   波が亮介の靴を濡らす。

亮介の声「俺、何してんだろ」

   亮介、湖に一歩踏み出す。

亮介の声「俺、何の取り柄もないか?」

   だんだんと湖の中へ。

亮介の声「俺、何やってもダメなんか?」

   亮介、頭からザブリと湖に入り、もが

   いてみせる。

亮介の声「湖よ、殺れよ。ほれ、またあん時

 みたいに俺を殺ってみろよ」

   バシャバシャと水音をさせて、派手に

   もがく亮介。そこへ、

少女の声「何やってんの?」

   亮介、気づいて立つと水は腿あたりの

   浅瀬。すぐ近くに少女が立っている。

   素に戻る亮介。よく見ると、少女は智

   花にそっくりである。

亮介「智花?」

少女「何やってんの?……バッカみたい」

亮介「……」

少女「バッカみたい。あんたバッカみたい」

   言い放って駆け出す少女。その先、道

   端に車を止め賢太が手を振っている。

賢太「おーい、亮介。おーい」

○農道

   畑で農作業をしている八重の前を、ず

   ぶ濡れの亮介が通る。

亮介「(くしゃみ)ヘックション」

   呆然と見送る八重。亮介去ると、

八重「父ちゃん。とうとう来るとこまで来ち

 ゃったよ、こりゃ」

○走っている車(夕方)

   運転する賢太。助手席に亮介。後部座

   席には智花似の少女、若村桜()。

   亮介、濡れた頭をタオルで拭いている。

賢太「電話じゃ、おばさんがな、ちょっと散

 歩に出たような話でさ。すぐ見つかると思

 ってったら、いやいや。随分いろんなとこ

 探したんだぞ、亮介ー」

亮介「(頭を下げる)」

賢太「そしたら桜がな、お父ちゃんこっち、

 なんて、まるで分かってるみたいに案内し

 てくれて。(桜に)なっ桜」

桜「(仏頂面で、ふむ、と頷く)」

賢太「でもまあ、ほんとに、懐かしいなー」

   シートの陰から桜の顔をマジマジと見

   ている亮介。

亮介「(智花に似てる)……」

賢太「亮介、そんな変わってないよなー」

亮介「(戻って)あ、ああ。そう?」

   賢太、終始満面の笑顔。

   亮介、遠慮がちに

亮介「それで、その。いったい何の用?」

○とあるアパート・前景(夜)

   賢太と聡、2台の車が停まっている。

○同・善三の部屋(夜)

   手狭な古アパートの一室。

   亮介、賢太、善三、聡。

   善三、台所から料理を運びながら、

善三「そうかー。亮ちゃん手伝ってくれるか

 ー。そりゃそりゃ(とまた台所へ)」

   次々と運ばれた豪華な料理でテーブル

   はいっぱいになっている。

賢太「(台所に向かって)善さん、いいですよ。

 もう充分ですからー。さ、こっちで飲みま

 しょうよ」

   善三、また一皿持って、いそいそ出て

   くる。

聡「いつもながらスゲーね、善さんの手料理」

善三「はい、整いましたところで」

   4人ビールのグラスを持ち。

全員「乾ぱーい」

善三「(一口飲んで)嬉しいねー、まったく。

 亮ちゃんまで揃ってボート大会ができると

 はねー」

亮介「なんか、料理に釣られたみたいで」

聡「まさに」

善三「いいの、いいの。若いもんはそれでい

 いの。三大欲求に忠実って大事なこと」

賢太「始まったな。善さんの蘊蓄」

      ×   ×   ×

   壁掛け時計、十時を差している。

   全員、酔いがまわり、どんちゃん騒ぎ。

      ×   ×   ×

   壁掛け時計、十二時を差している。

   虚ろな目で語る善三、他の3人、しん

   みりと聞いている。

善三「独りで寂しいって思う時もあるけどさ。

 寂しいって思う時は家族が何人いたって寂

 しいだろ? 同じこと」

      ×   ×   ×

壁掛け時計、三時を差している。

   床に寝転がり、大鼾の善三。

○同・外(深夜)

   車に乗り込む賢太、

賢太「(窓から)お疲れ」

   と出て行く。

亮介・聡「お疲れー」

   聡の車の前で、亮介。

亮介「ところでボート大会っていつ?」

聡「(時計を見て)明けたところで今日」

亮介「きょ、今日!?」

○ボート会場・中

   かんかん照りの猛暑日和。

   大勢の人々で賑わっている。

○同・入り口

   警備服に誘導棒の出で立ちの亮介。

   げっそりして立っている。

亮介「頭、痛えー」

   ぼんやりして誘導棒も適当に降ってい

   る。と賢太が血相を変えてとんで来る。

賢太「亮介! うちの桜見なかったか?」

亮介「(頭が痛い)ううっ。え?」

賢太「桜が行方不明なってんだ。悪い、急い

 でその辺探してみてくれないか? 頼む」

   賢太、慌てて去る。

   亮介、急ごうと動くが、

亮介「い、痛てててて」

   頭を抱える始末。

○湖畔・遊歩道

   頭を押さえて、亮介歩く。

   ボート会場が遠くに見え、賑やかな音

   楽や歓声が聞こえてくる。

   ふと先の桟橋を見ると、桜らしき背格

   好の少女の陰が立っている。

亮介「桜ちゃん?」

   足を速める亮介。

   桟橋から身を乗り出す少女。

亮介「(大声で)桜ちゃん、桜ちゃ〜ん」

   走り出す亮介、が、少女の陰、そのま

   ま湖にドボンと消える。

亮介「(息をのみ)桜ちゃん!」

○湖畔・桟橋

   全速力で走ってくる亮介。

   桟橋に、ヘルメットや上着を脱ぎ捨て

   ると、なりふり構わず湖の中へ。

○河口湖・水中

   淀んだ水。視界の悪い中、亮介、桜の

   姿を探す。

亮介の声「桜ちゃん」

   バシャバシャともがくような泳ぎ。

   亮介の鼻や口から息が泡となって上る。

亮介の声「桜ちゃん、どこだ桜ちゃん」

   黒々とした藻が絡み合っているばかり、

   桜の姿はいっこうに無い。

   もがき、泡立つ水中。

   次第に沈んでゆく亮介。

亮介の声「(力ない声)桜ちゃ……ん」

   息が保たなくなり、上がろうとするが、

   どんどん沈んでゆく。

亮介の声「く、苦しい」

   尚も、もがく亮介。

   と、智花の声。

智花の声「亮介、何やっとる。ほれ力抜け。

 上だ。上に向かって、水をかけ!」

亮介の声「……智花?」

   もがくだけの亮介。

智花の声「力を抜くんだ、亮介」

   亮介、力をぬくが、一向に浮かない。

智花の声「亮介、ほれ諦めんな。泳げ」

   ぐったりとする亮介。

亮介の声「動けない。だめだよ俺。だめだ」

智花の声「しっかりしろ! 亮介」

亮介の声「俺……、俺、終りか?」

智花の声「亮介、頑張れ! 亮介!」

   気が遠くなる亮介。

   水面の光がどんどん遠ざかっていく。

○湖畔・桟橋

   仰向けに寝ている亮介。ゴボッと水を

   吹き上げて、息を吹き返す。

亮介「ゴホッ、ゴホッ。桜、桜ちゃん」

   咳き込む亮介に人影がかかる。

   見上げると、智花が立っている。

智花「(無愛想に)不幸を全部しょったよう

 な顔しとって。変っとらんよってんのー」

亮介「桜(ゴホッ)……ちゃん(ゴホッ)?」

   亮介の隣に腰を下ろし湖を眺める智花。

   亮介、ゴホゴホやりながら、

亮介「さ、桜ちゃん……大丈夫か?」

   智花、ニッと笑い。

智花「お前ん、昔っから手のかかる奴よった

 よのー。すぐめそめそして、すぐに諦めて、

 俺出来ないーって泣くんもんよ」

亮介「え?」

智花「こんなに取り柄のない奴も珍しいよっ

 てん。(亮介を見て)それも悪くないもん

 がよの(ニッと笑う)」

亮介「お前、お前」

智花「お前んが呼んだから来てよったんに」

亮介「?」

智花「お前ん呼んだろの? 私を。……俺ん

 できないーって、呼んだろの。(笑顔)」

亮介「お前ん、いったい誰なん?」

智花「私が誰かなんて昔は気にしなかったん

 にの。何にも言わず仲間に入れてくれたん

 の、亮介、お前んよの」

亮介「智…花…?」

智花「あの頃は夢中で遊んだもんよ。木登り

 したり魚釣りしたり。(亮介を睨んで)ま

 さか忘れたとは言うまいのー?」

亮介「俺、もしかして。……死んだ?」

智花「バッカだのー。お前んの心臓の音、聞

 こえんのんか?」

亮介「(心臓に手を当てて)うん(大丈夫)」

智花「お前んの呼吸、感じないのんか?」

亮介「(鼻と口に手を当てて)うんうん」

智花「お前んの生命が『生きるぞ、生きるぞ』

 って言うのんが聞こえたか?」

亮介「(しっかり頷く)」

智花「それでいいのんよ。それがお前んなん

 よ。お前んの生命なんよ」

   智花、やさしく微笑む。

亮介「(しみじみと頷く)」

智花「亮介。生命を信じて、堂々とおれ。な」

   湖畔に、賢太、聡。

聡「あっ、いたいた」

賢太「桜—っ」

   と、やってくる。

   智花、桜に変わって、

桜「お父ちゃん」

   桜を抱き寄せる賢太。

賢太「こんなとこに居てー。(亮介に)亮介、

 サンキュー」

   亮介、ホッとして声も出ず。

   手をあげ(OKと)応える。

聡「亮介、(指差して)あっちの誘導員足りな

 いんでさ。次、あっち行ってくんないか?」

   肩を落とす亮介。手で(わかった)と

   応える。

賢太「それにしても亮介、河口湖好きなんだ

 なー。毎日、泳いでんもんな」

   亮介、仰向けに寝転んでしまう。

   傍らの桜、

桜「バッカみたい。あんたバッカみたい」

亮介「プッ(と吹き出して笑う)」

   次第に高らかなに笑う亮介。

   つられて賢太、聡も笑い出す。

   遠くでボート場の歓声。

○河口湖駅・前

   善三、賢太がボート関係の団体を送り

   出している。

   亮介を乗せた聡の車が着く。

   鞄一つ提げた亮介。

   善三と賢太、気がつき、

善三「おお亮ちゃん、もう行くか」

亮介「はい。お世話になりました」

賢太「いろいろサンキューな」

亮介「いやあ」

善三「また帰って来いよな」

亮介「うん」

聡「今度は、俺が東京行くわ」

亮介「おお」

   駅から電車のアナウンス。

善三「しっかりな」

亮介「じゃー」

   亮介、改札を入り、手を振る。

賢太「元気でなー」

   手を振り返す三人。

   亮介の姿、見えなくなる。と、

聡「あいつ、大丈夫かなー」

善三「いやー。亮ちゃんにもやっと故郷がで

 きたんだー。きっと頑張るさ」

   三人、まだ改札を見ている。

賢太「そろそろ昼飯でも」

善三「そうだな」

   三人、聡の車へ。

○河口湖駅・俯瞰

   聡の車、走り出す。

○河口湖駅周辺・俯瞰

賢太の声「おいおい! これ亮介の靴」

聡の声「え? あいつ靴忘れた?」

善三の声「まさかー」

○河口湖・俯瞰

聡の声「いやいや、これ亮介の靴だわ」

賢太の声「嘘だろ。靴忘れたら、あいつ裸足?」

○富士山と河口湖

善三の声「まさかー」

聡の声「いや、やばいってー。あいつ靴忘れ

 てやばいってー」

賢太の声「知らん知らん。俺知らん」

善三の声「まさかー」

   富士山と河口湖の絶景。

                 (了)

閲覧数:15回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page